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今回は、毎月第1日曜日を「大磯ビーチクリーンの日」として北浜海岸の清掃を実施している、大磯ビーチクリーン実行委員会の代表であり、プロSUPサーファーでもある田原靖夫さんにお話を伺いました。
田原さんにとってSHONANとは?
- 田原さん
- 私は東京で生まれました。
5歳の時に二宮に引っ越してきて、中学2年生の時にサーフィンをはじめ、自転車で大磯まで来てサーフィンをしていました。
その後、26歳の時に大磯へ引っ越してきました。
私は二宮の出身ですから、大磯のローカルサーファーになりたいという意識は、すごく強くありました。しかし大磯小学校・大磯中学校の出身でないと大磯ローカルではない、という暗黙のいわれがありまして、私はいまだにビジターとして二宮から移住してきた、いち大磯町民として活動している、そんな感覚でいます。

田原さんがビーチクリーンを始めることになった「きっかけ」とは?
- 田原さん
- 1998年からビーチクリーンをはじめました。
当時私は34歳で、何か社会貢献をしたいなと思っていた時に、たまたまその年は台風が多い年でした。大磯には、相模川・花水川という2つの大きな川があり、その河口からどんどん水とゴミが流れ出て、大磯の堤防にストックされて南風が吹くと大磯のビーチにゴミがあがってきます。それで自然発生的に私が言い出して、平塚の本荘睦というプロサーファーに「一緒にやろうよ、ビーチクリーン」と声をかけました。それでみんなでミーティングをして、11月の第1日曜日からスタートしようということで集まりました。
それぞれ友達に伝えてね、といって当日の朝にビーチへ行ってみたら、100人くらいの人たちが来ていたんです。私涙が出そうでしたね。 やっぱりみんな、あの光景を見ていた。それは、ビーチをショベルカーで掘って、そこに全部のゴミを投棄していたのです。いやー、あんなことしちゃっていいのかなって思っていました。
そこで呼びかけてみたところ、みんな集まってきたということは、みんな同じ気持ちだったんだなと思い、嬉しかったですね。

田原さんが仲間と作るサーフィン大会とは?
- 田原さん
- まずビーチクリーンがはじまって、そのメンバーでもっと楽しいことしようよという流れで、「田原さんにサーフィンスクールやって欲しい」と言われ、スクールをはじめてみたところ、だんだん人数が多くなってきました。では、大磯町の広報協力のもと公な取り組みとして継続したところ、毎年20名くらい子どもたちがサーフィンスクールに参加し、夏にはサーフィンコンテストも行うようになりました。このコンテストは、先輩方から代々40年以上続く歴史ある「大磯サーフィンコンテスト」を受け継ぎ、今ではビーチクリーンのメンバーが携わって運営しています。

これからのビーチクリーンは?
- 田原さん
- 海をウォーキングしているある日、私の前方を3人の親子が歩いていました。彼らはゴミを両手に持っていました。「どうしたの?」と訪ねると、大磯から親子3人で約2㎞離れた花水までゴミを拾って歩いて、自らビーチクリーンをしてきたんだと答えが返ってきました。そのゴミを自分の家に持ち帰って、分別して自分の家のゴミとして出す、それが本当のビーチクリーンだと思います。
自発的にやれるかどうか、それは意外と勇気がいることなんです。なぜなら、ひとつのゴミを拾って何かの役に立つのかなって思うから。みんなで一緒に活動すると、一度にたくさんのゴミが集まるから、成果がわかりやすく目に見えて、きれいになってよかったと実感します。ただ、あの親子のように個人的活動をできる人を育て、自然とビーチを愛す人が自分でゴミを拾って持って帰って捨てる、あるいは環境のことを考えて、ゴミを捨てないという人をいっぱい作りたいと思います。

「大磯ビーチクリーン実行委員会」公式サイトはこちら
https://ameblo.jp/oisosurfingkyokai/
- Vol.3
- ~「毎月第1日曜日は大磯BEACH CLEANの日~